2016年07月10日

ROCK STAR SHALL RETURN!

「2時25分」は、とうに過ぎてしまった。

中学のころ、従兄が作ってくれたオリジナルベストMD。だから歌詞もわからず、だけどずっと聴いていた。
そこにあるなんとも蠱惑的な、ギラギラした生命力に惹きつけられ、、、当時はこんな言葉知らなかっただろうけど。
それが、THE YELLOW MONKEYとの出会いだった。
そして、出会ってすぐに、イエローモンキーは活動休止した。

高校になってもイエローモンキーを追いかけ続けた。中古CD屋を回ってアルバムを揃え、古本屋でインタビュー記事を探した。哀しいかなもう過去のバンドだから、そういう追い方をするしかなかった。だけど、ビートルズやツェッペリンだってそうやって知ったのだ。新曲は出ないしライブもやらないけど、いやだからこそ何度も何度も何度も、イエローモンキーの曲を聴き、口遊んだ。

そんな中、ボーカル吉井和哉のソロ活動を皮切りに、メンバーがそれぞれの道を歩み始める。当然素晴らしい作品がリリースされ、それも聴き込むも一抹の不安。それは、素晴らしいと同時に、イエローモンキーの楽曲とは全く違っていた。素晴らしいからこそ、不安だった。

そして、活動休止したまま、解散の報。未だに、そのニュースを見た後、消化できずに数時間ぼおっとしていたのを覚えている。

作家の樋口毅弘さんが、「青春の終わりとは好きなバンドが解散すること」と書いていた。
それが本当だとすれば、おれにとっては高校時代、好きな女の子のことをずっと考えていたそのど真ん中に、青春が早くも幕を閉じたことになる。

結局、おれはイエローモンキーのライヴには一度も足を運べなかった。
イエローモンキーは、過去の偉大なロックバンドと同じように、CDを聴きながら「ああ、産まれるのが遅すぎたなあ」と遠い目をする、そんなバンドだった。

しかし、イエローモンキーは、帰ってきた。ジャガーが時を越えて戻ってきたように。

再結成全国ツアー、全日程の折り返しに当たるさいたまスーパーアリーナ。
解散前は存在しなかった会場。15年という空白。

でも、15年を経ても、4人はどこまでもイエローモンキーだった。
そしておれも、イエローモンキーファンだった。

『空の青と本当の気持ち』『カナリヤ』『花吹雪』、、、特におれが大好きなナンバー。いやもちろん、どれもこれも名曲なんですけど。思い入れも含めて、本当に聴けて嬉しかった。
初期の楽曲もやってくれた。どの曲もこの日のために予習したわけでも覚えてるわけでもなく、だけど細かいアレンジの変更・アウトロまで全部わかる。
知っている、とかじゃないんだろうな。細胞に染み込んでいる。狂ったように聴き込んできた15年間。それはもう価値観のレベルでの影響。そのメロディーが、歌詞が、自分に刻み込まれている。
イエローモンキーが、おれのカッコいいの基準。イエローモンキーが、おれのロックの基準なのだ。
『バラ色の日々』『WELCOME TO MY DOGHOUSE』のMCでは、事実上の解散ライヴとなった東京ドームでのMCを引き合いに出してくれた。「スーパーな野良犬」、なんてカッコいいんだ。
『SUCK OF LIFE』での恒例のメンバー紹介。アニーのドラムソロが解散前にはやってなかったであろうシャッフルスタイルだった。解散中のインタビューでジャズドラムも叩いている、と読んだ記憶があるから、そのナイフを抜いたんじゃないかな。ただの再結成ではない、パワーアップを表現していたんだと思う。
そして『JAM』。4人が解散に際して最後に演奏した曲。それを4人は、再結成ライヴのラストナンバーに選んだ。「イエローモンキーは続いていく」、どんな言葉より、このセットリストとあの最高の演奏が雄弁にそのことを教えてくれた。

イエローモンキー再結成。
胸がいっぱいでまだまだ言葉にできない。だから最後に一言。
おかえりなさい。



posted by 淺越岳人 at 04:02| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月20日

スティルライクグリーンデイ

おれが狂ってるだけなのか?
おれは酔ってるだけなのか?

UFJが好きだ。千葉銀行が嫌いだ。
前者には給料が入り、後者に家賃を振り込むからだ。
これが逆だったら、好悪も反転していたことは言うまでもない。

バイト先の有線で、Green Dayがかかった。一番聴いてたアルバムの人気曲、『Basket Case』だ。正直似たような曲ばっかりだけど、これはちゃんと覚えている。
このバイト先を選んだ理由のひとつが、店内BGMがマトモなこと。ただでさえのレジ打ちに加え、コンビニで流れているような頭の悪い音楽一日中聴いているのはちょっと耐えられそうにない。もっとも、今ではレジ打ちしながらお客さんと世間話できるようになったのだから、結局どんなものでも慣れなんだろう。
低気圧と蒸暑さでこの季節は毎年不機嫌だが、高校時代に聴いていた音楽流れて来たんだ。
その程度?その程度だ。

おれが狂ってるだけなのか?
おれは酔ってるだけなのか?

この歳になってまで、Green Day聴いて奮い立っているのもどうなんだろう、まあいいか。
posted by 淺越岳人 at 23:46| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2016年06月05日

某月某日

俺のやり方が正しいかどうか、とか。
俺がどうしたいか、とか。
どうあるべきか、とか。

正直もうわかんねえんだよな。
ブレブレだよ。結局ブレるんだよ。

結局の妥結点。思い返せば迎合に過ぎない道を模索して賢しく立ち回る。いつもそうだ、賢しくはあれど賢くはない。送り仮名一文字の決定的差。そしてまた言葉遊び。まったくもって賢しいだけだ。

そのくせ言わずとも良いことを言い、言うべきことは言えず。
覚悟を口にする覚悟はなく、誠意を見せる誠意がない。

俺は思う。
口にしたら覚悟でなく、他人に見せたら誠意でない。あるからこそ、言えないこともある。言えば、それはもうただの手口だ。

じゃあ、なぜここで書く。書いた時点で言い訳にしかならないこと、わかってるのに。
またブレている。

結局、俺は意志があるフリをしていたいだけだ。強く意見を叩きつけておいて自ら折れることで、個人の立場を超える、信仰心みたいなものを示している。もしくはそんなポーズを取っている。曲げること、曲がることに淫している。「固執しないこと」への固執。
「扇動者」であろうとする平衡感覚。「調停者」であろうとする醜い我欲。そうやって「立場」を自ら作っている。

おれは寄生している。

だからこそ本物の、本心からの、エゴが批難が妥協が、許容できないのだろう。相容れないのだろう。怖いのだろう。そして、心の底から、憧れるんだろう。

たぶん今日の俺の立ち回りは、役に立ったのだろう。あれが俺の有用性なんだろう。
だからこそ、最高に唾棄すべき行為なんだろう。

折れてしまいそうな夜に、ちゃんと折れてしまいたい。折れないから、ただただ歪んでいくんだ。

飄々としててえなあ。





posted by 淺越岳人 at 01:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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